ケノティズム

妄想メインです

カーボン・バレー

生物が生きることを選んだのは、起業文化があったから…かもしれない

 

※ 以下,ほとんど憶測なので注意

 

なぜこんなに身体は上手くできているのだろう。進化、つまり似たものを複製しては試行錯誤してきたからだ。試行錯誤すれば洗練されるのは多分わかる。では複製は?複製がなければ、試行錯誤で死に絶えてしまうはずだ。試行錯誤がなければ複雑な複製能力を手に入れるのは難しい。相互依存で、始まりが見えない。複製はいつ、どのようにできるようになったのだろう。

 

試行錯誤を諦めれば複製は簡単だろう。例えば氷の結晶が成長するのを複製と捉える事もできる。何らかのエネルギーで熱して冷ませば環境に合わせて自己組織化する事がある。だから生物に繋がる物質=前生物も、まず頑丈なインフラによって誕生を保証され、そして何度も殺されたのではないか。自分で生きなくても生まれることはできる。発生源(マザー)がいれば。

 

しかし試行錯誤を諦めた分,複製までの道のりはかなり険しそうに思える。前生物に個性があったとしても、まるで洗練されていない。そんな状態では物質として良くある性質しか持てないはずだ。簡単な複製をしても結局ほとんどの個性を活かせない。活かせたとしても次に繋がらない。この前生物の進化のミッシングリンクはどうなっているのか、妄想してみる。

 

まず生まれやすく殺されにくい個性が残るだろう。硬い構造が(生き)残ったかもしれないが、固着性の動物のように、粘りつく構造に注目したい。安全な場所に粘り付けば、殺されにくくなる。さらに仲間を増やせば、ある程度までは壁を厚くする意味でより安全性が増す。ロマンチックにいうなら、前生物は最初に(生き)残る伝統を持つ共同体を作ったのではないか。

 

最初に共同体に与えられた責務は、独りで生きられるようになることではない。マザーが彼らを作った理由と同じく、エントロピー最大化、つまりエネルギーを拡散させることだ。責務をこなせないものは、エネルギーを溜め込んでいき、崩壊して使命を忘れてしまう。やがて安定したエネルギーの拡散経路として、化学反応経路の生態系ができただろう。責務のために壊す側と共同体を守る側の2つの雌雄が対立した時代もあったかもしれない。

 

粘り着く特性がエネルギーの拡散経路に独自の位相構造を生み出すことには注目したい。しがらみが様々な需要を生むのだと思う。マザーの位相に影響を与えることができれば、前生物の誕生に個性が関与するようになる。これは教育のようなものだ。自分の脳を複製することはできなくても、影響を与えて生徒に一定の傾向を与えることはできる。

 

しかしこの教育フェーズは気が遠くなるほど長かったかもしれない。無秩序な有機物がまず簡単にできることと言えばマザーを黙らせることぐらいだっただろう。野蛮な時代を繰り返し、エネルギーの拡散経路が何度も途切れ、その度に教訓となる遺物が残っていった。この遺物の個性も重要なのかもしれない。やがて遺物からの不文律に従いながら、ようやく前生物たちはエネルギー拡散の仕事を請け負うようになる。

 

高度な仕事には今も昔も集中が必要だった。大量の情報を複製できる現在の(RNAのような)仕組みでは、仕事に必要な集中構造を直接つくることができる。しかしそれ以前は、互いの品質を信頼し、協調することで集中構造を作る必要があり、不安定だったのではないか。つたない化学知識で想像するに、初期の仕事でできたのは2,3個の腕である種の腕を持つ仲間を近づけておくことだけだったのかもしれない。腕の向こうの仲間が期待した性質を持っている確率は低かっただろう。大昔の製造業のように、荒い仕事を行うだけで十分な頃があったのだろう。

 

前生物たちが、鉱石ラジオからコンピュータまで技術発展させるかのように、有機物のお団子作りからRNA複製やタンパク質合成やプロトンポンプを実現した歴史は、まだまだ謎に包まれている。しかし前生物の心情を想像してみると、知恵を正確に複製して伝えられないという点で、我々の知能と似た葛藤と意思決定があったのではないかと思えてくる。

 

 我々は死んだら記憶も意識も無くなる。非生物は基本的に死に続けている。時折、台風の渦のような記憶を保つ事もある。それでもその記憶のうち、記憶の保存と複製に活かされる情報は限られている。一方、生物は遺伝物質を中心に大量の情報を活かしている。なぜそんな困難な道を選べたのか。それは多様な個性が生じる豊穣な土地で、戦い合い協力し生き残る共同体の中にならば、知恵を伝え残していくことが実は簡単なのだと、前生物たちが気づいたからではないだろうか。