ケノティズム

妄想メインです

石ころの気持ち

初めまして、ですね。わたしは石ころです。

つまり貴方と同じこの宇宙の一員で、ビッグバン後くらいからは基本的に原子集団として活動してきて、か細い重力を頼りに何度も核融合に挑戦し、一時はかなりの地位に上り詰めて重力を先導し幾多の宇宙を照らす星を作り出してきたけれども、ブラックホールの一員にはなれておらず、最近は珍しく美しい軌道である太陽系の、特に珍しい地球という惑星に参加して、マントル対流に乗ったり、地殻を打ち破る火山噴火に参加してみたものの、さすがに恒星のように地表で熱を保ち続けることはできず、いつもと同じような仲間を囲って、即席の金属結合共有結合をそれでも可能な限り美しく形成して、熱伝導と地圧を維持する仕事を毎日粛々とこなしているモノです。

この惑星はまだまだ若く、マントルの後輩たちが頑張っているせいか、地表にチャラい分子がつくる川や海や嵐があり、さらには表面に得体の知れない有機物がこびり付いたり動いたりしていて、石ころにしては刺激に富む毎日ではあるけれども、それでもこの冷めた地表にいる今は基本的に死んだように生きている、と感じています。

トラフに引退するまでは石ころを全うするつもりではありますが、風化して砂として一足先に引退しているかもしれない自分の一部を少し羨ましく思います。もちろん風化は辛いものですし、力学的な衝撃を不用意に与えられるのなら、いつだって反作用する準備はできていますし、何度か圧電効果でクレームを入れたことだってあります。でもそれに意味があったかわかったことは無いですし、自分が本当のところ何に関わっているのか、分かっていないのではないかと思うこともあります。

それでも今は粛々とやるべきことをやるしかないのです。そうしていたいし、それ以外できないのです。この惑星の地表で荒波に揉まれ角が取れたときに、またそれを強く実感しました。大岩の内側にいた頃は岩の一員として強い態度で即断即決していましたが、今はこの形を取ることで、周りの岩や水、風との無駄な衝突を避けることができるようになりました。丸くなったな、と言われることもあります。まだまだ歪な形かもしれませんが、この形は私の歴史であり、時が来るまで残していきたいと思っています。

私はいろいろなものを信じています。自分の形もそうですし、地表に出た時に決めたこの結晶構造もそうです。自分の今いる位置も地盤と海、川との軋轢の中で自分で決めてきたもので、あるべき位置だと信じています。この惑星で核融合が起きなかったり、自分で核分裂が起こせなかったり、軽い分子たちのように軽率な化学反応ができないのは退屈でもありますが、歴史の重みを持っている以上、仕方のないことです。運が悪い部分は受け入れるしかありません。運動量と角運動量は天下の回りものですし、位置も運、つまり運命は運です。

それでも、この宇宙では生きている限り何度でも挑戦できます。何度も動き出し、壁にぶつかり、互いを傷つけ、それでも熱を得て、自分を見つめ直し、あるべき形になり、信じるものを見つけ、チャンスを待ちながら日々の仕事を続ける。私たちはきっといつか救われるはずです。そのきっかけが妬ましい太陽光からの熱を周囲に拡散し続けることから来るのか、暗い夜空への黒体放射として昇華させることから来るのか、川岸を形作ることから来るのか、はたまた海が感じている月とかいう、この惑星の衛星から来るのか分かりませんが、私たちは常に救われようと仕事を続けています。信じるものが何度失われようと、記憶が何度潰えようと、私たちは進み続け、だからこそ、きっと救いに到達します。だからお互い頑張りましょう。

それはそれとして、私は石ころの矜持を守ります。重力方向へのナメた運動に対しては当然、反作用で答えます。一歩も引きません。今の私の下には巨大な地盤がありますから。一体どうして、そんな無駄にエネルギーを溜め込んだ挙句、そんな運動として解放したのでしょうね。私たちの結束を知らないのでしょうか。私たちが貴方たちのように、情けと余裕と不純さを見せて潰れてくれると期待したのでしょうか。全く理解できません。有機物の貴方の内側から何か折れたような鈍い音が返ってきましたが、勉強だと思って記憶してくださいね。