前回のおさらいと今回の内容
前回、全体の状況を大まかに考察した。実はみんな頑張ってるらしい(汎心論)。そこで何がしたいか何ができるか、具体的に決断し学んでいきたいが、学びに終わりは無い。では学び方は俯瞰できるだろうか。できるだろう。おそらく、学ぶ順番が重要だ。
数えるということ
宇宙は大きい。そこには様々な思いがあり、あなたの思いは通じたり通じなかったりする。あなたは思いが通じるかを信じるか確かめる。あなたが信じられるものが増えれば、つまりあなたは大きくなっている、より思いが通じるようになる、はずだ。あなたは、この宇宙がいかに大きいか、どんな思いが通じるのか、何が大きいのか、支配的なのか、自分がどこに居るのか、何を確かめたのか、何を信じているのか、数えている。あなただけではない。宇宙のあらゆる物が数えている。時を刻んでいる。私たちは命懸けで計算している。
「数える」という言葉を曖昧に使い過ぎだと思うかもしれない。これは学びの基本は同じはずだという仮説を表現している。数を数えるという行為には学びの基本が詰まっている。曖昧な認識を離散値に揃え、順序づけ、どこまでも深める。加算や乗算を使って数え方を工夫することもできる。大きな数になるほど、実際に数えるのは難しくなる。このような性質は学びの、特に独学の特徴として現れる。
幸いなことに、あなたには記憶素子があり、信じたことを適切に思い出せる信頼がある。念入りに確かめたことならば、信じることができる。「人それぞれだよね」「キリがないよね」「何でもありなんじゃないの」「やってみないと分からない(予想できない)でしょ」「天才でもあるまいし」数えるのを諦める大人しい文化が浸透しているかもしれないが、野蛮な希望もある。数えるのは大変で、取っ掛かりも見当たらないことも多く、前まで数えられても次が続くとは限らない。それでもいきなり全てを解決する奇跡を望まず、絶望的に遠く見える未来に向けて、初歩から数えていくことなら、できるはずだ。政治や常識の程度問題だと決めつけずに、トレードオフの正しい理解に迫る方法が必ずどこかにある。万物は無限の自由度で流転し、地獄の堂々巡りも氷解していく。
宇宙は様々な方法で自身を数えている。その一部であるあなたも様々な方法で同時並列に数えていくことができる。技能を極めたり、生活を向上させたり、社会との信頼を育てたりできる。そこには発展の順序があり、根本の間違いがあれば手戻りが起き、先に行くほど一人では手詰まりだが、他者に似通った方向があれば互いの発展を促進できる。どの方向にどれだけ進むかのポートフォリオがあり、その定番の形がいくつかあるのだろう。自然に様々な木の形があるように。
数える上で大事なのは、原点を確認しておくことだ。0を見つけることで位取り記法や計算規則の理解が進んだ。原点は、原点以外が持つ要素を何も持たない。何も無いからこそ、何の誤魔化しも効かない。そこではアイデアの本質が冷酷に審判される。無は無矛盾であり、あらゆる支配法則の頂点に君臨している。課題の消滅で勝利を定義するなら、無は恐ろしいほど完全な勝利である。無の拡張である様々な原点にも同様の支配があり、無の無矛盾性より具体的に、次の数を決める支配の本質を露わにしている。それを発見できれば、数え易くなるだろう。
新しい原点の確認は簡単な事ではない。他の点を知っていても、そこにどんな規則性を見出し他の点を考えていきたいのか、そのアイデアが曖昧だったり矛盾を含むなら、原点を見つけることができない。それぞれの点がもつ複雑さを、どのように紐解き、序列づけたいアイデアなのか。より複雑なものを受け入れたい自分は、果たして何者なのか?原点の探究は、先入観たちの闘争である。そこで決まった序列が美しいほど、その枠組みは豊穣になる。
数えることがなぜ重要なのか。大きな課題に向けて小さく間違えられるからだ。課題が小さなうちは、当てずっぽうが効く。規則性を見出すほど具体例を揃えなくてもよい。小さいうちにできる限りのことをしておくと得だ。原点の探究は、殺伐とした概念世界の天下統一である。そこでは自分のエゴすら否定されるかもしれない。あるいは、天動説のように自分のエゴをひいきし他を差別したせいで先進的な枠組みを見逃したり、エゴの理解不足から環境破壊などを検討せず、科学技術を乱用する悪魔になるかもしれない。学問の探究にはこのような修羅の要素があるだろう。この修羅との対峙を、なるべく小さな課題のうちに済ませることで、錯誤による疲弊を抑えることができる。
厄介なことに、初めから原点を数えるのは不可能に近い。単純な概念がどれだけ深い意味を持っているか理解するのは、複雑な具体例をおおよそでも想定できてからになる。無はいつでも原点にあるが、次の概念をどう支配するかほとんど想像できない。私たちは何度も原点に立ち返る必要に迫られる。枠組みそれぞれの原点だけでなく、枠組み全体の原点も見つけるべきだろう。それは葛藤の歴史にフラクタルな形を作るように思える。数える順序の全体は明らかではなく、部分的な順序を参考に数えたり数え直したりする事になる。
何から数えるか
数える順序について大まかには何が分かるだろう?私の妄想はまだ少ない。自分の持つ木の形にあわせて、信じるか確かめるかの二択を繰り返すのだろうか。世界がなめらかなら、少しの確認で大きく信じることができるから、そんな方向を意識するといいのだろうか?
基礎として思いつくのは以下のようなものだ。
- 自分の正気を確認しよう。生きていられるか、疑念が組み合わせ的爆発を起こしていないか。
- あなたの世界の要素の大きさを、大まかに把握しよう。大きいか小さいか。遠いか近いか。確実か不確実か。
- 自分にとって大きいものを確かめよう。頼りになるか、恐れになるか。
先に進むほど固有の数え方が必要になるが、そこでも幾つかの基本形が形を変えて何度も現れる。分かりやすい基本形は、小さな数が象徴するものになるだろう。陰陽思想や三位一体、四元素説や五行思想など、ある数での分業の意味づけは、基本形の性質を明らかにするかもしれない。現状ではこの領域で明らかになっている定理が少ないため、誤りが無さそうなものを選び基本形として参考にするしかない。