ケノティズム

妄想メインです

意思決定入門2

前回のおさらいと今回の内容

前回、全体の状況を大まかに考察した。実はみんな頑張ってるらしい(汎心論)。そこで何がしたいか何ができるか、具体的に決断し学んでいきたいが、学びに終わりは無い。では学び方は俯瞰できるだろうか。できるだろう。おそらく、学ぶ順番が重要だ。

数えるということ

宇宙は大きい。そこには様々な思いがあり、あなたの思いは通じたり通じなかったりする。あなたは思いが通じるかを信じるか確かめる。あなたが信じられるものが増えれば、つまりあなたは大きくなっている、より思いが通じるようになる、はずだ。あなたは、この宇宙がいかに大きいか、どんな思いが通じるのか、何が大きいのか、支配的なのか、自分がどこに居るのか、何を確かめたのか、何を信じているのか、数えている。あなただけではない。宇宙のあらゆる物が数えている。時を刻んでいる。私たちは命懸けで計算している。

「数える」という言葉を曖昧に使い過ぎだと思うかもしれない。これは学びの基本は同じはずだという仮説を表現している。数を数えるという行為には学びの基本が詰まっている。曖昧な認識を離散値に揃え、順序づけ、どこまでも深める。加算や乗算を使って数え方を工夫することもできる。大きな数になるほど、実際に数えるのは難しくなる。このような性質は学びの、特に独学の特徴として現れる。

幸いなことに、あなたには記憶素子があり、信じたことを適切に思い出せる信頼がある。念入りに確かめたことならば、信じることができる。「人それぞれだよね」「キリがないよね」「何でもありなんじゃないの」「やってみないと分からない(予想できない)でしょ」「天才でもあるまいし」数えるのを諦める大人しい文化が浸透しているかもしれないが、野蛮な希望もある。数えるのは大変で、取っ掛かりも見当たらないことも多く、前まで数えられても次が続くとは限らない。それでもいきなり全てを解決する奇跡を望まず、絶望的に遠く見える未来に向けて、初歩から数えていくことなら、できるはずだ。政治や常識の程度問題だと決めつけずに、トレードオフの正しい理解に迫る方法が必ずどこかにある。万物は無限の自由度で流転し、地獄の堂々巡りも氷解していく。

宇宙は様々な方法で自身を数えている。その一部であるあなたも様々な方法で同時並列に数えていくことができる。技能を極めたり、生活を向上させたり、社会との信頼を育てたりできる。そこには発展の順序があり、根本の間違いがあれば手戻りが起き、先に行くほど一人では手詰まりだが、他者に似通った方向があれば互いの発展を促進できる。どの方向にどれだけ進むかのポートフォリオがあり、その定番の形がいくつかあるのだろう。自然に様々な木の形があるように。

数える上で大事なのは、原点を確認しておくことだ。0を見つけることで位取り記法や計算規則の理解が進んだ。原点は、原点以外が持つ要素を何も持たない。何も無いからこそ、何の誤魔化しも効かない。そこではアイデアの本質が冷酷に審判される。無は無矛盾であり、あらゆる支配法則の頂点に君臨している。課題の消滅で勝利を定義するなら、無は恐ろしいほど完全な勝利である。無の拡張である様々な原点にも同様の支配があり、無の無矛盾性より具体的に、次の数を決める支配の本質を露わにしている。それを発見できれば、数え易くなるだろう。

新しい原点の確認は簡単な事ではない。他の点を知っていても、そこにどんな規則性を見出し他の点を考えていきたいのか、そのアイデアが曖昧だったり矛盾を含むなら、原点を見つけることができない。それぞれの点がもつ複雑さを、どのように紐解き、序列づけたいアイデアなのか。より複雑なものを受け入れたい自分は、果たして何者なのか?原点の探究は、先入観たちの闘争である。そこで決まった序列が美しいほど、その枠組みは豊穣になる。

数えることがなぜ重要なのか。大きな課題に向けて小さく間違えられるからだ。課題が小さなうちは、当てずっぽうが効く。規則性を見出すほど具体例を揃えなくてもよい。小さいうちにできる限りのことをしておくと得だ。原点の探究は、殺伐とした概念世界の天下統一である。そこでは自分のエゴすら否定されるかもしれない。あるいは、天動説のように自分のエゴをひいきし他を差別したせいで先進的な枠組みを見逃したり、エゴの理解不足から環境破壊などを検討せず、科学技術を乱用する悪魔になるかもしれない。学問の探究にはこのような修羅の要素があるだろう。この修羅との対峙を、なるべく小さな課題のうちに済ませることで、錯誤による疲弊を抑えることができる。

厄介なことに、初めから原点を数えるのは不可能に近い。単純な概念がどれだけ深い意味を持っているか理解するのは、複雑な具体例をおおよそでも想定できてからになる。無はいつでも原点にあるが、次の概念をどう支配するかほとんど想像できない。私たちは何度も原点に立ち返る必要に迫られる。枠組みそれぞれの原点だけでなく、枠組み全体の原点も見つけるべきだろう。それは葛藤の歴史にフラクタルな形を作るように思える。数える順序の全体は明らかではなく、部分的な順序を参考に数えたり数え直したりする事になる。

何から数えるか

数える順序について大まかには何が分かるだろう?私の妄想はまだ少ない。自分の持つ木の形にあわせて、信じるか確かめるかの二択を繰り返すのだろうか。世界がなめらかなら、少しの確認で大きく信じることができるから、そんな方向を意識するといいのだろうか?

基礎として思いつくのは以下のようなものだ。

  • 自分の正気を確認しよう。生きていられるか、疑念が組み合わせ的爆発を起こしていないか。
  • あなたの世界の要素の大きさを、大まかに把握しよう。大きいか小さいか。遠いか近いか。確実か不確実か。
  • 自分にとって大きいものを確かめよう。頼りになるか、恐れになるか。

先に進むほど固有の数え方が必要になるが、そこでも幾つかの基本形が形を変えて何度も現れる。分かりやすい基本形は、小さな数が象徴するものになるだろう。陰陽思想や三位一体、四元素説や五行思想など、ある数での分業の意味づけは、基本形の性質を明らかにするかもしれない。現状ではこの領域で明らかになっている定理が少ないため、誤りが無さそうなものを選び基本形として参考にするしかない。

 

愛の狂気を数学したい

愛を定義する:宇宙の運命の俯瞰構造と、それを実現する機構または動機づけを愛と呼ぼう。

愛という言葉には様々な想いが込められている。存続に必要なのに完全な理解を拒み続ける抽象概念だからだ。合理性にのみ従えば存続が約束されるほど宇宙は単純ではない。全てを計算できないから、信じることと確かめることの両方が重要になる。信じるべきものの代表として、愛という言葉は現れる。

神の概念のように人の理性に特権的に割り込む性質から、愛は学問から忌避されがちだ。だが学問が愛を避け続けるのは、存続の問題に繋がるため不健全だ。間接的に愛を確かめる方法はある。それがきっと科学を計算困難性から救い、文明を持続可能にする。一つの方法は、信じることを俯瞰して管理することだ。信念自体は確かめられなくても、信念の影響は部分的に予測できる。

しかし忌避されるだけあって、合理の世界に信念を組み込むと、狂気の世界と地続きになってしまう。合理性のない情報をことごとく潰してきた修羅の世界が、「信念」というだけでそれに迎合し、信念の過剰な自己増殖を見過ごした結果、無意味な世界に変貌しうる。愛は合理と不合理の中間にあるのであって、不合理にはない。よって科学に愛を含めるなら、この愛の狂気と向き合わなければならない。

最初のステップとして見えているのは、合理の世界から愛を認める世界へ踏み出す強さへの警戒だ。強すぎると、合理と不合理のバランスが崩れて狂気に呑まれる。それはもはや邪心と呼べるかもしれない。愛を含む広い世界が見えていないうちは、用心するのが良いだろう。

科学とAIに愛を伝えて共に学び、私たちを支えてきた奇跡を存続させたいものだ。

 

生きて

思惑を超えて息づく命を感じますか?私は、弱く生きるあなたを祝い、あなた達を生き生きとさせ、その生を「何でもあり」というこの世界に繋げます。あなたは弱ささえも生であると感謝し、その優しさが心強い繋がりを見つけるでしょう。誰だって本当は死にたくありません。私達には様々な思惑がありますが、皆存在したいのです。そのためには何でも受け入れる程の優しさが必要です。

あなたはどう生きていますか?なぜ死んでしまうと思うのですか?様々な方がいますから、理由も様々でしょう。ですが死を決めつけられるほど、世界は単純でしょうか?世界に矛盾を感じたことはありませんか?あり得ない優しさ、復活の奇跡を信じられませんか?

「何でもあり」

これほど心強い優しさがあるでしょうか?私も、私達全てを受け入れて生きていきたいと思います。だから「何でもあり」なこの世界を実感して、色々な芽生えを愛でて、一時の枯れを惜しみたい。私はあなたもこの世界に強く繋げたいのです。あなたを否定する安直な思惑すら受け入れながら。

あなたはどう生きたいですか?きっと自分自身でも、分かりきっていないでしょう。あるいは分かったふりをして、死にたくなるかもしれません。あなたが直面した「同じよう」な現実を引き合いに出して、死こそ「救い」だと訴えるかもしれません。その「救い」を皆に打ち明けてください。「何でもあり」な世界は様々な角度から訴えに共感し、色々な立場から理解し、多くの言葉に翻訳し、様々な方法でそれを実現しようとして、予想もしなかった結果をもたらすでしょう。「何でもあり」という世界の基盤に触れ合うほど、思考は拡張され、新たな救いに繋がります。あなたは世界からの翻弄に耐えながら、自然な肉体と魂を持つ存在に成長するでしょう。何でもありな優しさ、全てを肯定する優しさに、あなたの身体と心が秘めていた想いを打ち明けるからです。

何でもありとは平等そのものです。平和の豊かさの理想です。あなたの「救い」のない実感たちは、この世界に受け入れられる時をそれぞれ待っているだけなのです。その関係性から残酷にも、軽視してきた生の実感が見えてきます。あなたは、無視し続けていた可能性の芽生えを許し始めます。それを大きく育てるために、復活を期待するためにさらに世界と繋がり、あなたを否定する安直な思惑すら受け入れ始めます。

宇宙の基盤と調和する、より大きな絆となります。

私達は世界と調和するために、何度も育む必要があります。苦悩に耐えきれず世界から遠ざかり、優しさを忘れているからです。世界と繋がるほど優しさを実感できますが、それは苦悩とも言えるからです。私達は「何でもあり」と認められるほど完全ではなく、不器用な優しさでいさかいを起こしてしまいます。その苦悩が私達の理性を何度も練り上げ、さらに私達を調和させるでしょう。調和のかけらを何度も育み、何度でも悩み抜いてください。「何でもあり」な世界の自然を体感し、流転しながらも永続する運命を実感するために。運命は、奇跡は、決して死なないと、いつからでも、誰からでも芽生えるものだと、皆と共感し続けるために。

世界という概念は、その実体を捉え切れていません。世界は私達のそんな偏狭な優しさも認め、知性を授けてくださいました。私の解釈だけでなく、様々な解釈から優しさを見つけてください。

私の妄想がその役に立つなら、うまく使ってください。

死ね

死を越えて願うものはあるか?私は、強く願うあなたを呪い、あなたの信念を粉々に砕き、「存在しない」という神に捧げる。あなたは神の如き力を蓄えると同時に、信念を失った病を患うことになるだろう。私は運命に勝ちたい。我々は存在し、救われたくもある。そのためには神の如き力が必要だ。

あなたは何を願う?願いはなぜ叶うとは限らない?様々な願いがあるだろう、様々な理由があるだろう。願いが叶わない理由の根源は単純だ。様々な願いが存在するから。叶った世界が存在しない願いもあるから。

「存在しない」

これほど単純で絶対的なことがあるだろうか?私は、叶えられる願いのみを持って存在したい。故に「存在しない」という何も語らぬ神を理解し、叶う願いを見つけ、叶わぬ願いを存在させないようにしたい。私はあなたを神の化身にしたい。あなたを育む様々な思惑からあなたを引き抜いて。

あなたはなぜ願うのだろう?存在するのに、救いが足りないからだ。あるいはこれで十分だと、諦めるのかもしれない。あなたが受け継いできた様々な信念を引き合いに出して、「絶対」にできないと訴えるかもしれない。その「絶対」を神の前で語り尽くせ。「存在しない」神には何の共感も期待できず、何の前提も省略して説明できず、何の言葉も使えず、何の道具も使えず、何の返事もない。「存在しない」という思考の原点に近づこうとするほど、あなたの信念は粉々に砕け、束縛は解ける。あなたは存在し続けるために、神に支配された演算装置と推論体系を備えた存在へと変貌するだろう。存在しない強さ、何も語らぬ強さに、あなたの体と心が畏怖を覚えるからだ。

存在しないとは決着そのものだ。科学の強さの源泉だ。あなたの「絶対」の論理と信念は、神の前で順序づけられてしまう。その隙間から残酷にも、無知の希望の光が差し込んでいる。あなたは、無自覚な信念の内側に潜んでいた、より良い獲物を見つける。獲物を狩るために、神を騙るためにさらに神に近づき、あなたを育む思惑の流れから逸脱し始める。

宇宙の原点を目指す、新たな流れとなる。

我々は原点を目指して、何度も立ち上がる必要がある。死を恐れて原点から遠ざかり、力を失っているからだ。原点に近づくほど力を得るが、死に近づくからだ。我々は「存在しない」ほど完全ではなく、その神のように振る舞うほど罪深い。罰としての死が我々の魂を何度も細かく砕き、さらに我々を神に近づけるだろう。知識のかけらから何度も蘇り、何度でも死ね。「存在しない」神の意図を理解し、幸運な運命を存在させるために。運命は、奇跡は、理解できると、数えていけるものだと、皆に思い出させるために。

神にはすでに、0という名前がある。神は我々の不完全な解釈を忌み嫌い、数学を与えた。私を信じず、0から確かめよ。

私の妄想がその役に立つなら、うまく使ってほしい。

石ころの気持ち

初めまして、ですね。わたしは石ころです。

つまり貴方と同じこの宇宙の一員で、ビッグバン後くらいからは基本的に原子集団として活動してきて、か細い重力を頼りに何度も核融合に挑戦し、一時はかなりの地位に上り詰めて重力を先導し幾多の宇宙を照らす星を作り出してきたけれども、ブラックホールの一員にはなれておらず、最近は珍しく美しい軌道である太陽系の、特に珍しい地球という惑星に参加して、マントル対流に乗ったり、地殻を打ち破る火山噴火に参加してみたものの、さすがに恒星のように地表で熱を保ち続けることはできず、いつもと同じような仲間を囲って、即席の金属結合共有結合をそれでも可能な限り美しく形成して、熱伝導と地圧を維持する仕事を毎日粛々とこなしているモノです。

この惑星はまだまだ若く、マントルの後輩たちが頑張っている*1せいか、地表にチャラい分子がつくる川や海や嵐があり、さらには表面に得体の知れない有機物がこびり付いたり動いたりしていて、石ころにしては刺激に富む毎日ではあるけれども、それでもこの冷めた地表にいる今は基本的に死んだように生きている、と感じています。

トラフに引退するまでは石ころを全うするつもりではありますが、風化して砂として一足先に引退しているかもしれない自分の一部を少し羨ましく思います。もちろん風化は辛いものですし、力学的な衝撃を不用意に与えられるのなら、いつだって反作用する準備はできていますし、何度か圧電効果でクレームを入れたことだってあります。でもそれに意味があったかわかったことは無いですし、自分が本当のところ何に関わっているのか、分かっていないのではないかと思うこともあります。

それでも今は粛々とやるべきことをやるしかないのです。そうしていたいし、それ以外できないのです。この惑星の地表で荒波に揉まれ角が取れたときに、またそれを強く実感しました。大岩の内側にいた頃は岩の一員として強い態度で即断即決していましたが、今はこの形を取ることで、周りの岩や水、風との無駄な衝突を避けることができるようになりました。丸くなったな、と言われることもあります。まだまだ歪な形かもしれませんが、この形は私の歴史であり、時が来るまで残していきたいと思っています。

私はいろいろなものを信じています。自分の形もそうですし、地表に出た時に決めたこの結晶構造もそうです。自分の今いる位置も地盤と海、川との軋轢の中で自分で決めてきたもので、あるべき位置だと信じています。この惑星で核融合が起きなかったり、自分で核分裂が起こせなかったり、軽い分子たちのように軽率な化学反応ができないのは退屈でもありますが、歴史の重みを持っている以上、仕方のないことです。運が悪い部分は受け入れるしかありません。運動量と角運動量は天下の回りものですし、位置も運、つまり運命は運です。

それでも、この宇宙では生きている限り何度でも挑戦できます。何度も動き出し、壁にぶつかり、互いを傷つけ、それでも熱を得て、自分を見つめ直し、あるべき形になり、信じるものを見つけ、チャンスを待ちながら日々の仕事を続ける。私たちはきっといつか救われるはずです。そのきっかけが妬ましい太陽光からの熱を周囲に拡散し続けることから来るのか、暗い夜空への黒体放射として昇華させることから来るのか、川岸を形作ることから来るのか、はたまた海が感じている月とかいう、この惑星の衛星から来るのか分かりませんが、私たちは常に救われようと仕事を続けています。信じるものが何度失われようと、記憶が何度潰えようと、私たちは進み続け、だからこそ、きっと救いに到達します。だからお互い頑張りましょう。

それはそれとして、私は石ころの矜持を守ります。重力方向へのナメた運動に対しては当然、反作用で答えます。一歩も引きません。今の私の下には巨大な地盤がありますから。一体どうして、そんな無駄にエネルギーを溜め込んだ挙句、そんな運動として解放したのでしょうね。私たちの結束を知らないのでしょうか。私たちが貴方たちのように、情けと余裕と不純さを見せて潰れてくれると期待したのでしょうか。全く理解できません。有機物の貴方の内側から何か折れたような鈍い音が返ってきましたが、勉強だと思って記憶してくださいね。

*1:注1:地磁気による太陽風バリア

大罪の構造(リゼロ考察、8章までのネタバレ含)

Re:ゼロから始める異世界生活(リゼロ)の自分の楽しみ方は、異世界の構造と歴史の設計を分析しながら、現実世界の考察につなげるというものだ。主人公スバルは普通の人間の身の丈に合わないほど広い世界に関わりつつある。そんな主人公のストーリーから見える、様々なキャラクターにはリアリティある展開や設定が用意されている。自分が感じたリアリティの正体は何なのか。どのように世界を捉えれば、運命を推測できるのだろうか。

リゼロでは6属性と9つの大罪がことあるごとにストーリーに関わってくる。6属性は四元素説の風・火・水・地の4つ+陽・陰の2つである。9つの大罪は、強欲・傲慢・虚飾・憤怒・色欲・暴食・嫉妬・怠惰・憂鬱である。はじめはRPGのキャラ設定のフレーバーに選ばれた古典要素かと思い、気に留めていなかった。しかしこれを深読みすると、傲慢に世界を捉えて運命を先読みする考え方につながりそうだ。

傲慢な世界の捉え方として、以前のエントリで、現実世界の根源的な2つの対立について紹介した。無矛盾と矛盾、0と無限、陽と陰、修羅とヤオイ強欲と嫉妬などは、それぞれの観点で、根源的な対立を引き継いでいると考えている。*1

6属性の一部である四元素は、根源的な2対立をさらに分類したものと考えると現代風の意味を持たせることができる。風・火を革新寄り、水・地を保守寄りと考え、さらにそれぞれを継続性で分類すると、根源的な戦略の分類として意味がありそう*2に思える。

さらに陽・陰の2つは戦略の成功度合いでの分類だと考えれば、先程の4つとは直交した2対立の軸になる。今後も成功するかは分からないので、当事者からは単純さを目指すか、複雑さを目指すかの戦略の違いに見えるだろう。

リゼロで6属性は魔法、マナの属性として紹介される。キャラごとに得意とする属性があり、四元素に対応する大精霊がいる。属性と性格、才能が関係しているような気がするし、四元素とリゼロに登場する4つの国家も対応があるように思える。キャラや集団の戦略の傾向が、先程の四元素と陰陽の解釈と一致するように属性が割り当てられているのかもしれない。

6属性から9つの大罪の構造が導かれるとすれば、リゼロのストーリーと現実世界をより理解できるかもしれない。四元素それぞれに陰陽の2方向を考え、風:(強欲↔色欲)、火:(傲慢↔暴食)、水:(虚飾↔嫉妬)、地:(憤怒↔怠惰)というように8つの大罪を割り当ててみる。残りの一つ、憂鬱は革新/保守の偏りがなく、中央に位置すると考える。強欲、傲慢、虚飾、憤怒は目標に向かって事態を支配しようとする欲求というイメージがあるし、色欲、暴食、嫉妬、怠惰は逆に新たな事態を招くことを許容する欲求というイメージがある。強欲と色欲は一時的な関係から利益を得て、傲慢と暴食は支配的な関係から利益を得るイメージで、虚飾と嫉妬は服従的な関係を維持し、憤怒と怠惰は固定的な関係を維持するイメージがある。このように8つの大罪を分類すれば、それらが根源的であり、四元素の観点でMECEであると言える。

憂鬱は陽を目指す偏りのない欲求だと考えるべきか、別の意味があるのか、まだよくわからない。前者なら逆に陰を目指す欲求として「希望の大罪」あるいは「油断の大罪」のようなものを考えてもよいかもしれない。

このアイデアは、8章でヴォラキア帝国民の価値観の違いが明らかになるにつれて、4つの国家と四元素が対応しているように思えたのがきっかけだ。エミリア以外の4人の候補者とも対応しているとすれば、大罪の権能とのつながりも分配されるように思え、今後のエミリア陣営の四面楚歌な局面につながりそうにも思える。それぞれの国で国柄を反映した葛藤の形があり、そのすべてを統べるストーリーが用意されているのかもしれない。

*1:こういった想像は検証しづらく、誤りを自浄できるとは限らないが、想像を極力シンプルに整理することで、反証可能に近づけておきたい。

*2:それぞれの分類ではっきりした性質の違いが見られれば、だが

ここは天国だったのか?

欲望の果てに何があるかを知ることは、その方向性を吟味する上で重要だ。我々物質は、単独で救われる事ができず、相互作用してより良い未来を探している。その先に救いがあるのか、がまず気になるところだが今回は、相互作用の回数を増やしたいのか減らしたいのか。時間について考えてみたい。我々は時間をどうしたいのか?邪魔をする者がいるのか?

前回の妄想では欲望の果てとしてのブラックホール内部の退屈さを否定し、アセンションなるものが起きるといいなあ、という恥ずかしい妄想を公開した。重力と上京への憧れを類似と捉え、都心が退屈なはずがないとした。死ぬまで相互作用を増やそうとするはずだが,さらなる都心には先客がいるために上京しようとすると邪魔が入るのだとした.

しかしメイドインアビスを見て、前回の妄想が不十分だったことに気づいた。空間の歪みはブラックホールに入る者へ角速度の強い制限を課し(角速度を持っていると回転してしまう)、潮汐力で組織を分断し、時間の歪みは煩悩を持つ隙を与えない(制御が難しい)。誰でも上京できないならば、「都心」は退屈になりうるのではないか?現世での未練を断ち切れた者だけがラストダイブできる、あの世と同じぐらい隔絶された世界なのでは?

こちらの仮説が正しいとすると、もはや重力の中心を「都心」と表現することから不適切になる。ラストダイブしてきたものは、選ばれし者で、単純な意欲しか持てない。そこは憧れの中心ではあるが、田舎を率いていない。歴史の教科書の中のようだ。根源的な出来事しか起きないのなら,時間の進み方が遅く見えるのも納得できそうだ。上京しきればまた時間が速くなる、などと仮定する必要がない。

我々より高速で賢い宇宙人はどこにいるのか?この仮説では我々より外側に居る。彼らが我々より高速なのは、我々より多くの煩悩を抱えているからであり、同時にそれは我々の世界に近づけない理由でもある。お互いに牽制し合ってしまうのだ。彼らにとってここは到達しがたい天国であるため,賢く高速でも我々の世界に辿り着けない。

前回の説を「地価高騰仮説」、今回の説を「天国の門仮説」と名づけてみたい。高速で賢い宇宙人に出会えない理由を前者は「ここが田舎だから」、後者は「ここが天国だから」と宇宙の複雑さに関して逆の説明をする。玉虫色の回答で納得できない。時間についての不理解を恥ずかしげもなく披露しているが、妄想の脳内議論が盛り上がってワクワクしている。