ケノティズム

妄想メインです

嫉妬の魔女はなぜ最も強いのか

(リゼロのネタバレ注意)

 

見識が浅いので、リゼロを読むまで人間の本能なんて、蒙古斑のようなしょーもない伝統だと思っていた。進化によって偶発的に決まった忌々しい取り決め。その解釈は傲慢だった。

 

リゼロでは特に七つの大罪に注目して本能や感情の本質に迫っている。強欲、暴食、怠惰など、それぞれの罪を強く表す大罪司教は、直接の感情表現で罪を体現している訳ではない。自分の偏りを自覚し、表面を取り繕ってなお現れる価値観や行動の狂気が、抽象的な大罪を表している。単なる脳の誤動作ではなく、一般人も誘い込まれる狂気の重力の底を、魔法の力で底上げしてキャラクターにしているのだ。

 

そんな七つの大罪が重要なテーマであるリゼロで、嫉妬は特別な扱いを受けている。嫉妬の魔女は、他の大罪の魔女を飲み込み、災厄となって世界を半分を飲み込み、封印された。主人公の死に戻りに関係し、制約を破ると世界を飲み込む。大罪の人格と元の人格(?)があり、理不尽だったり優しかったりする。他の大罪の魔女に対して理解を示す強欲の魔女に,不可解なほど嫌われているように見える.

 

嫉妬が最も強く描かれているのは、宇宙の無慈悲な運命を表す罪だからだと思う。強欲と嫉妬は対極にいる。運命を切り開こうとする強欲の中で、秩序から排された嫉妬が蓄積し、悲劇が生じる。嫉妬によって保たれた多様性が、新たな可能性を見つけ出し、強欲が満たされる。世界はギリギリの資源を集中、分配し、強欲を満たしつつ嫉妬を抑え続ける。平和なようで歪みは徐々に蓄積され、革新は副作用を生み、混沌の中、希望はいつも未来に先送りされる。Ω矛盾の楽園。

 

自分の妄想力では、強欲と嫉妬をこのように宇宙の2神(0,∞)への信仰として解釈するまでが限界だった。七つの大罪(とその他2つ)でMECEなのかは知らないが、残りの大罪が何を信じることで、どう体系立てられるのか、今後のリゼロで明らかになることを勝手に期待している。