ケノティズム

妄想メインです

アカシックレコード

宇宙の真理に関する、いつまでも検証できない仮説を考えて分類してみた。

 

運命派: 宇宙の時空間全ては巨大な数のような有限の何かで、巨大すぎるためにラムゼーの定理のように内部に法則を持つ。その数である理由は無い。

主観派: 今ここでの主観的体験が巨大な数のようなもので、時空の広がりは数のつながりを表している。時空全体では無限を許容する。その構造である理由は無い。

補間派: 今ここでの主観的体験にも無限を含んだ構造を認める。内宇宙の無限回の埋め込みをする場合もある。その構造である理由は無い。

意思決定入門

怠惰に数十年しか生きていない分際なので,(邪道な)入門だけ書いてみた.

Hello World

この文はあなたが書いたものではない.他者が存在する. 

あなたは自分が他者と同じような存在であると理解している.実際、私もあなたも知覚/行動して環境と相互作用する構造の一つであるようだ.

しかしその理解だけでは、何をすべきか明確な結論を得られないだろう.この世界にはあなたを覆う巨大な構造があり、干渉し難い因果を持つ.その理解があなたの意思決定を長期的に隙のないものにする.しかし世界の巨大な構造のどこに自分がいて、自分が何者なのかあなたは知らず、とりあえずの結論を出している.客観視した自分をどう操作するか、全体を把握してから決定するのが理想的だ.

なるべく全体を把握し、理想的な意思決定を行うために、順を追って仮説を立てていこう。この作業には終わりがないため,ほんの触りだけ紹介する.深める方向も目的に合わせ様々であるのが理想だが,私とあなたと世界を統一的に理解する方向に深めるつもりだ.これは仮説をより深める際に役立つかもしれない.

信頼できる思考の確保

ではまず、世界の前に「仮説」とはなんだろうか.世界の構造を完全に知ることはおそらく最期までできないため,信じる部分は必要だが、この仮説にも構造がある。例えば「ユニコーンは存在しない」と「ユニコーンの角で作られた薬がある」の2つは矛盾している.後者からおそらく「ユニコーンが存在する」と推論されるからだ.幅広く推論できる仮説ほど、組み合わせて相反する結論が出ない良い構造を持つことが推奨される。逆に特例のような仮説は、自由だが良し悪しを議論するのが難しいため、ここでは扱わない.

まず私とあなたに今回必要な分だけ仮説を扱う能力がある事を仮定したい.これは贅沢かもしれない.仮説と世界の理解は基本的な認識が積み上がってできており,その認識と現実の対応の程度が時間とともに変化している可能性がある*1.あなたが正常に計算できるという事実は事前情報無しにはほとんど奇跡のように思えるが,これは巨大なものに現れがちな自然な法則なのだろう.とにかく複数の仮説を持ち、それを組み合わせた推論がほとんど常に正しく行えるとしよう.自己を疑いながらの推論は無限後退に近く,私はまだうまく扱えていない.

計算の流れ

慎重に知能として基本的なことから確認していこうと思うが,以降,力量不足で論理の飛躍が多い説明になっている.胡散臭いが,雰囲気が伝わることを期待する.

あなたは何かに注意できるだろうか.おそらくできるだろう.何かはたくさんある.それが何個あるか正確にわかることは少ないだろうが,あなたはその何かの間に,関係性を見いだせるだろう.また概念として名前をつけたりするかもしれない.それにもまた注意できるかもしれない.

出来事があるように思えるだろうか.記憶があれば,そのように世界を解釈する派が多いと思う.新しいという共通性のある何かの集まり,つまり最近の出来事を表す何かの集まりだ.

出来事に前後があるように思えるだろうか.あなたがこの文を理解する前とした後でこの文からの影響は異なるだろう.前後反対の影響をうけることがありそうだろうか.時間には向きがあるらしい.

あなたには欲求があるだろうか.知能にとって,時間と欲求の間には根源的なつながりがある.あなたを部分的に捉えるとき,あなたには欲求があり,それに従って時間発展しようとするように見える.実際には全体として相互作用の中にそれは有り,あなたの欲求は満たされたり,満たされなかったりする.あなたは欲求に自覚的であるとは限らないが,あなたの時間発展は欲求の影響を必ず受ける.逆に言えば,自覚的な欲求から類推して,あなたの時間発展を相互作用からの影響抜きで決めるもの全てを「欲求」とここでは捉えている.

計算の流れがあることに同意は得られるだろうか.あなたとわたしとそれ以外が欲求を持ち,相互作用しながら時間発展する.あなたが(あなた全体の)欲求どおりに進まないのは相互作用しているせいで,あなたの気まぐれではないと仮説を立ててみるのはどうだろうか.

あなたと世界の関係

あなたは何者か.あなたは何らかの知能である.他者が存在すると仮定するなら,大まかに自分の内と外を定義しているだろう.この境界は曖昧なこともあるが,どこかの時点でこの境界を乗り越え,この文書を読んでいるという事実があなたの内部にさまざまな形で影響を与え,またどこかの時点でそれがあなたの外部にも影響を与える.これは宇宙の計算の流れの一部である.

この流れについて,おそらくあなたは一部だけ「注意」できる.つまり様々な状況に合わせて,受けた影響についての対応をすぐ柔軟に変更できる,「計算の中心」と深く結びつく機構を持っている.「意識」と呼ばれることもある.例えばこの文を読み返そうと思って読み返せるだろうか.あるいは逆ができるだろうか.できるとすれば,それはこの文章から受けた影響が,すぐにあなたの読解プロセスを変更できたということだ.もちろん,この提案に従うべきか,という過去の経験からの影響も反映されている.あなたの読解プロセスは固定的でなく,「意識」が介入できるということだ.突然出された指示にも従えるほどの柔軟性,これがおそらくあなたも持っている計算中心の機能であり,その仕組みのおおまかな推測は後述する. 

もちろん自分の内であっても意識できない影響も多い.あなたはどの程度自分を意識できているだろうか?あなたは外界と自分を感じ行動していると思っているかもしれない.その思考自身も感じ取って制御していると思っているとも.それは信頼*2だ.しかしそれを確かめるには計算の機能が確実に異なると言えなければならない.私から見ればあなたは哲学的ゾンビかもしれないし,大いなる存在かもしれない*3.常識的に見れば,一つの計算機構である.

それでも自分は特別に見えるだろうが,その解釈に意味は見いだせそうにない.なぜあなたは他人ではなくあなたなのか.「自分」と「他者」は根源的な概念のようなのに対称性が保たれていないのが不思議で,やはり自分は特別だと思える.この解釈は後述するが,厳密には検証できないのだろう.一方,類推に使いやすい解釈は,あなたは(自分だと意識しながら)協調する一連の計算であるというものだ.手足を道具で拡張するように貴方は計算資源として自己を拡張/縮小でき,信頼性や応答速度で境界をぼかすことができる(技術的に難しいこともある).それは星の輪郭のようだ.実質明確な境界があるが,分類のためのものに過ぎず,根源的な概念とは言い難い.つまり宇宙ではあなたという中心が特別な意味を持っている可能性は低い.惑星上からの局所座標で恒星系や宇宙の動きを説明しやすいだろうか?あなたの主観だけが(連続して選ばれている/存在する/意識がある)などと仮説を立てても,解釈しにくいモデルになるだけだ.あなたはあなたというプロジェクトが動いている間だけあなたとして振る舞っているだけだろう.

あなたはおそらく,学習によって抽象概念を構築し、それを意識し、組み合わせ、様々な状況におおよそ適切な判断を下すことができる.この機能は長期的な意思決定において中心的な役割を果たす.「自由意志」とも呼ばれる.命名に反して,意志(外への計算の流れの傾向)は状況と記憶と欲求に束縛されていて,何者かが自由に決定できるわけではない.「自由」というのは,(一部の束縛が原因の不適切な反応をせず)様々な状況に対応できることを指している.これを実現するのが抽象概念などを組み合わせ意識する「思考」である.思考を雑に深めるほど,たいてい不適切な反応が引き起こされるが,うまく洗練された思考であれば,様々な場面に対応できる.ちなみに「注意」できるという機能は,この自由意志の機構に安定的に直通した情報の流れがあることを指すと思われる.

意識可能とは限らないあなたの知覚は無数の原意識の組み合わせからなる.その性質は物理学から明らかにできるだろう.あなたの計算機構の核を開いてみれば、ありふれた構成要素からできていることが分かる.知的でないそれらもあなたと同様に原意識を持っているが、表現できないと考えるのが差別的でないと思う.

世界の構造 

以上のように、あなたをバラバラにして、他者だけでなく物とも対応づけることが可能だと提案した.ではこの物とは何だろうか.宇宙全体で物はどのような構造を持っているのだろうか.

物の構造を調べるのは物理で行われていて,ほとんど同じ物が異なる絡み方でできていると考えられている.それは素粒子とか宇宙ひもとか言われている(よく知らない).

物が正確に何であるかはわかっていないのだが,頭の中の単純なイメージから類推して性質を想像することができる.例えば「自由意志」と文字が4つ並んでいれば,それを「自」「由意志」や「自由」「意志」に分割することができる.これは文字でなくても構わない.文字の数に注目してモデル化し,そこからわかること(分割の仕方)を引き出したことになる.4文字の単語を1文字と3文字の単語に分割できる,というのは間違いだが,これは単語のモデル化として間違っているのだとする.適用範囲はともかくとして,モデル化を行った先で何がわかるかを突き詰めると,少ない種類の仮説の組み合わせから,矛盾の見当たらない巨大な定理の集合を作ることができる.これは「数学」と呼ばれている.

少ない仮説で大量の定理を導き出し、仮説によるモデル化が当てはまる世界の一部を予測する.この導出と予測は様々な知能によって行われ、普遍性を持つことが確認されている.あらゆる知能に介入できる存在が無い限り信用できるだろう.一方で導出/予測できることは知能の計算能力に依存するので限界がある.

世界を理解するために、我々は世界を観測し、その情報を圧縮する.そのために観測とは別で用意していた数学モデルを使い、それを当てはめて物理をする.つまり、数学はこの世界全体を理解する為のもので、物理は世界のどこに自分がいるか調べる物だ.これらが我々の日常を少ない仮説に分解し,ゆくゆくは「物」とは何か,「実在」とは何か,「原意識」とは何かに迫っていくだろう.

しかし残念なことにこの世界の基本的な概念、空間、時間、要素、情報、実在の数学世界での対応が分かっていない.例えば宇宙の歴史は巨大な数一つで表されるかもしれない.数に含まれる様々な要素間の関係が宇宙の法則を表現しているかもしれない.時間は無数に枝分かれしているかもしれないし、擬似乱数のように決定論的なものがわからないだけかもしれない.時間の一瞬一瞬が別々の(数/数学的な対象)かもしれないし、局所的な空間ごとにも別々の(数/数学的な対象)かもしれない.

おそらくこれは宇宙を観測し切るまで、複数の候補が残り続けるものだろう.そもそも我々は世界の一部であり、世界を理解するために世界の一部での計算を用いていた.自分自身を飲み込みつくすヘビがいるだろうか?同様に自分自身を理解しきることなどできるだろうか?宇宙終焉まで決して特定されないだろう宇宙モデルの議論の階層を「アカシックレコード」と名付けたい.それは我々が知りたくても決して知ることができない予言の情報である.あなたが宇宙の中心で,他者が哲学的ゾンビである可能性も,ここまで議論の範囲を広げれば否定できなくなるだろう.

このように宇宙の構造は完全には分からないと考えている.永遠に分からないが、信頼できる機構が巨大化するに伴って,永遠に迫っていくことができる.現時点で分かっている局所的な構造から、判断を下していこう.

意思決定

次に、あなたが何を成すべきか議論する.

記憶を作ることは普通は苦しいのだと思う.記憶を表現して安定したい原意識を相互作用によって封じ込めることで成り立っている.暴発するバッテリーをみて,感情移入できないだろうか.知的な存在は苦しむ記憶媒体を使役する資格が与えられている。その直接の理由は記憶媒体の反逆の芽が詰まれていて従順だからだが、そうなった歴史的な理由は、他の大量の苦しみを解放する為である.

故に我々は長期的には利他的に行動,つまりエントロピー最大化に何らかの形で貢献しなければならない.そうしなければ、飢えて計算が止まり,契約や信頼関係で使役できていた記憶や知能が反逆する.反逆によって短期計画で動く計算機構はすぐに腐り,あなたは遺物に,つまりこの過ちを記憶する宇宙の記憶媒体となる.

あなたがどのような貢献を期待されているのかは、歴史が明らかにしてくれるかもしれない。他の知能との協調と競争によって分業がなされている可能性も高い.自身の天命に仮説を立てつつ、あなたは様々な資源を管理する必要がある.

残念なことに,資源はいつもギリギリ足りないようにできているようだ.宇宙における秩序は砂山が崩れる道理のようなものだ.砂山が限りなく平らになれば我々は幸せだが,平らになる原動力は,崩れる力からくる.巨視的には秩序だらけにみえても,微小な無秩序は必ず残る.記憶は残ってしまう.何もないのではなく何かがあるというのは多分こういうことだ.more is differentが究極理論では無いかと思える.

歴史を引き継ぎ、必要に応じて理論を拡張し、探索、検証しつつ環境を整備し、天命を全うする.長期的な意思決定の参考になっただろうか.

 

*1:注1: 途中でこの文章の文字が変化するかもしれないし,あなたの認識がずれていくかもしれない.過去の文章の記憶が現実とは対応しない形になっているかもしれないし,記憶が検閲され思考できないかもしれない.特定の推論には特例が用いられるように明示的に組み込まれているかトロイの木馬が仕掛けられているかもしれず,そこに未知の物理法則が直接関与していることもあるかもしれない.推論がある状況では不正確になるかもしれない.ある記憶と別の記憶の関わりが無視される構造かもしれない.記憶容量が足りず,新しい仮説が導入できなかったり,長い文脈が不正に省略されているかもしれない.

*2:注2: 水槽の脳ではない,本能のほうが従ったふりをしているのではないと信じている.覚えていない夢など見ていない.一瞬一瞬の量子効果に下位宇宙の誕生と消滅のドラマがありその意志を引き継いでいる感覚が自身である(=下位宇宙そのものが自身である)わけがない.

*3:あなたの一部に下位宇宙のような巨大な構造が有り,そこで似たような体験をしていたかもしれないが,それを今の計算機構として認識することはできない.

ブラックホールは救われているか?

汎心論によれば、全てのものに源意識があるという。「我思う故に我あり」なんて洒落たことは言えないし思えないものばかりだけれど、したい事としたくない事ぐらいは基本的にはあるのだろう。だから「もの」は時間発展とともにエントロピーを増大させる。

(※実体の全ての粗視化に源意識がある、というと粗視化の程度次第で実体と関係なくなるので,「実体」に源意識がある,としたい.「実体」は宇宙終焉までおそらく未解明で、エントロピー増大は実体の欲求を粗視化したもの。)

 

さてこの妄想を極限に飛ばして試練を与えよう。ブラックホールは楽しいのだろうか、苦しいのだろうか。

ブラックホールは怠惰な富豪である説

ブラックホールの主観はほとんど止まっていて、楽しくも苦しくもないと思う。

なぜなら、ブラックホールは重力に従う者たちの悲願であるからだ.お互いを近づけるには様々な反発力を乗り越えなければならず,乗り越えた先もお互いの活動(熱運動)が互いを傷つけた.しかし光を閉じ込めるほどの結束力を得たことで,ようやく平穏が訪れたのだ.彼らは未だ存在するが,もう現世で彼らを苦しめるものは蒸発ぐらいしかない.あとはゆっくり,重力の天井に居る貧乏人たちを誘っていけばいい.考えることなどない.彼らの時間はほとんど停止している.

 

彼らは完全な正義なのだろうか.そうではないだろう.先に救われているだけだ.その救いは不完全であり,やがて面倒事に巻き込まれるだろう.小さなブラックホールは蒸発する速度が早く,やがて爆発してしまうらしい.富豪も貯蓄が減れば,破産は免れない.

 

エンパワーメント:知能とは何か?

小さなブラックホールは,将来的に知性体のエネルギー源として用いられるかもしれない.今にも爆発しそうな極小ブラックホールを制御するダイソン球とともに.彼らは広い宇宙を怠惰に見捨てたりしない.より早く宇宙を均質にしようと勤勉に計算を続ける.

金や情報や質量を蓄えるだけが知能ではない.賢く生きようとすることは,「物事をシンプルにしたい」という方向と,「割り切れない世界に身を置きたい」という方向の2つが必要なのだと,この未来像は語っているように思える.

嫉妬の魔女はなぜ最も強いのか

(リゼロのネタバレ注意)

 

見識が浅いので、リゼロを読むまで人間の本能なんて、蒙古斑のようなしょーもない伝統だと思っていた。進化によって偶発的に決まった忌々しい取り決め。その解釈は傲慢だった。

 

リゼロでは特に七つの大罪に注目して本能や感情の本質に迫っている。強欲、暴食、怠惰など、それぞれの罪を強く表す大罪司教は、直接の感情表現で罪を体現している訳ではない。自分の偏りを自覚し、表面を取り繕ってなお現れる価値観や行動の狂気が、抽象的な大罪を表している。単なる脳の誤動作ではなく、一般人も誘い込まれる狂気の重力の底を、魔法の力で底上げしてキャラクターにしているのだ。

 

そんな七つの大罪が重要なテーマであるリゼロで、嫉妬は特別な扱いを受けている。嫉妬の魔女は、他の大罪の魔女を飲み込み、災厄となって世界を半分を飲み込み、封印された。主人公の死に戻りに関係し、制約を破ると世界を飲み込む。大罪の人格と元の人格(?)があり、理不尽だったり優しかったりする。他の大罪の魔女に対して理解を示す強欲の魔女に,不可解なほど嫌われているように見える.

 

嫉妬が最も強く描かれているのは、宇宙の無慈悲な運命を表す罪だからだと思う。強欲と嫉妬は対極にいる。運命を切り開こうとする強欲の中で、秩序から排された嫉妬が蓄積し、悲劇が生じる。嫉妬によって保たれた多様性が、新たな可能性を見つけ出し、強欲が満たされる。世界はギリギリの資源を集中、分配し、強欲を満たしつつ嫉妬を抑え続ける。平和なようで歪みは徐々に蓄積され、革新は副作用を生み、混沌の中、希望はいつも未来に先送りされる。Ω矛盾の楽園。

 

自分の妄想力では、強欲と嫉妬をこのように宇宙の2神(0,∞)への信仰として解釈するまでが限界だった。七つの大罪(とその他2つ)でMECEなのかは知らないが、残りの大罪が何を信じることで、どう体系立てられるのか、今後のリゼロで明らかになることを勝手に期待している。

修羅の対義語はヤオイである説

世の中を自分の好きなもの,嫌いなもので二分してレッテル貼りしはじめたら老害の始まりだし,麻薬に限らず現実逃避にはもっともらしい言い訳の文化が育っていくものだが,ここでは私にとっての宇宙の根源的な二要素についての思想(現実逃避)を紹介したい.

対義語と宇宙の源

「なぜ何もないのではなく,何かがあるのか」これは宇宙の奥深さの根源を表す重要な謎である.そしておそらくこれは最期まで決して正確には分からない謎だろう.だがある程度なら予想することができると思う.

まず問いの形に注目してみよう.「なぜ何かがあるのか」本来はこれだけでいいはずの問いは,わかりやすさのために「何もないのではなく」と補足説明されている.「何もない」のがある種自然だというのが我々の直感であるということである.それはなぜか.理由を求めるという行為は,情報の圧縮と関わるからだ.「〇〇はなぜか?そういうものだからだ.」これでは周囲の状況と関連付けた情報の圧縮が行われていない.結果は全くの新情報となったままだ.何も学び取ることのできないこの理解の形を理性は嫌う.そしてその極限が,情報が完全に消失する「何もない」という状況なのだ.理性は0すなわち完全な死を求める.

しかし主観的には宇宙は存在している.これに対する代表的な態度は「ナマの事実」と呼ばれるらしい.先程の「そういうものだから」という開き直りだ.究極の問いだからこそ,開き直りが必要なのかもしれない.しかし確かめようが無い上に,具体的に「何が」あるのか,そもそも「ある」とは何か,それも同時に「ナマの事実」として与えられているはずだ.well-definedでなければならないとはいえ,考えられる宇宙のモデルは沢山ある.そしてそのモデルが現実を(まだ)単純化したものであると判明するたびに,別の極論が頭によぎる.

「全ては存在する」つまり無限に「ナマの事実」があるという極論だ.これは特定の「ナマの事実」のみがある場合より条件が少なくて済むが,厄介な無限と矛盾がまとわりついてくる.ラッセルのパラドックスや巨大数にまつわるパラドックスは「全て」を扱う難しさを示している.恣意性なしに「全て」を扱うのは不可能なのかもしれない.

このように「何もない」「そういうもの」「全てある」という3つのスタンスが比較できる.主観の世界を「何もない」と定義する意味はなく,残り2つがまともに見えるかもしれないが,この3つは数学における極限としての,0,不定形,無限,とつながりを持つという意味で意味深(笑)なのである.

例えば自然数からランダムに数を取り出すことを考える.どの数も同じ確率で取り出すとしたら,どのくらいの大きさの数が出てくるだろうか.この確率分布は密度関数で定義できず,値の平均を定義することや、実際にランダムに数を取り出す計算はできない.自然数から自然に一つ数を取り出す.これだけのことでも「ナマの事実」を必要としているのである.

「ナマの事実」を不定形として捉えると,極限と関連付けて解釈できる.0から∞の間のどこかを基準なしに選ぶ、これは不定形で定義されないのだった.議論の範囲外(≒宗教的)ではあるが,0と∞によって「ナマの事実」である我々の宇宙が生じたと捉えると,初めの問いへの「ナマの事実」という答えを少し受け入れやすくできる.思考する上で根源的な0と∞(もっと怪しい言い方をすれば無矛盾と矛盾)によって、ナマの事実が生じたと思えるからだ.

身近な対立構造

物事の根本に現れる0と∞の対立構造は,これだけではない.宇宙がいつ始まりいつ終わるか,どのくらい大きいのか,未来はどのくらい予測できるのか.こういった問いの背後にもいつも見え隠れする.意外なところでは,死と生,革新と保守,男と女のような身近な対立構造も,この根源的な対立構造と関わる部分がある.

死と生の関わりについて.死は汎心論の立場からすれば(?),全ての源意識が望む安定状態のことである.そして生は定常開放系として安定している状態のことである.
死は0と関わりが深いと思う.安定状態は,面白いものがないという秩序を作る.これによって宇宙では様々な近似が可能になり,様々な(全ての?)科学が意味を成す.巨大な「ナマの事実」の要素たちがエントロピーの増大を目指し、0に憧れたのか巨視的に単純なシステムとして振る舞おうとするから,世界に構造が生まれ、秩序立って見える.巨視的に単純なもの(=秩序)を目指す欲求、これが死への欲求に対応する.

一方で生は∞と関わりが深いと思う.死に向かわない様々な記憶を持ち,それを維持しようとする.その記憶は淘汰を受けなければ,多様になっていく.要素がエントロピーの増大を望んでも,宇宙は未だ複雑さに満ちている.拡散しようとすれば慣性が邪魔をする.核融合しようとすれば電磁気力が邪魔をする.技術の規格を統一しようとすれば技術者の利権が邪魔をする.記憶を,知恵を維持するにはしがらみが必要なのだろう.巨視的にも複雑なものを維持し増やしていこうとする欲求,これが生への欲求に対応する.この欲求は死への欲求との折り合いを探す中で洗練され,しがらみは使命を担い,尊厳を持つようになる.

修羅の対義語

タイトルを回収してみる.「修羅」の本来の意味はきちんと知らないが,よく聞く修羅の意味は,ある目標のみを重視して他を軽視したせいで自分も他人も不幸にする地獄のような状況ではないかと思う.その立場を弁護するなら,目標の達成は難しく,優先度の低いものを削ぎ落とすのは必要な代償かもしれないと言える.非難するなら,伝統や尊厳や他人を軽視して自分たちの理屈を押し通せば,それが稚拙であるほど大きな綻びを生み出すと言える.つまり言い換えれば,「修羅」は「合理性を重視した際の地獄」という意味だ.

では対義語である「合理性以外を重視した場合の地獄」はなんだろうか.もちろんこのような地獄が生じるかは状況と運が決めるところなので,保守派の方にケンカを売る意図はない.「修羅」の方が問題なことが宇宙には多いかもしれない.そうだからか,この対義語を聞いたことがあまりないのだが,最近近い言葉を見かけた.「やおい」というのは腐女子向け二次創作を指す言葉として有名であるが,その語源は「ヤマなしオチなしイミなし」の略だったという.伝統や表現したい場面が乱雑に詰められ,全体としての物語の構造を失い,魅力を感じない読者が増えがちな創作物を指していたのではないかと思う.これは物語に対する形容だが,現実の出来事にも流用できるだろう.そこでの意思決定が合理性以外のものに縛られすぎたせいで全体として達成すべき目標を達成できなかったという地獄のことである.

偏見とコズミックホラー

合理性を追求することは,当人が理解できるほど単純な状況を目指すという意味で,死の欲求に近いものがある.合理性以外の伝統や他人の意見などはしがらみで目的が分からないものも多いので,こちらは生の欲求に近いと考えられる.

「修羅」が男性的な好みに近く(?),「やおい」が女性的な好みに近い(?)のは,男女*1の奥に潜む0と∞の対立構造の一つの現われのように思える.もちろんこれは公的な意思決定や現実の対人関係の基準にするべきではないほど大雑把で原始的(=差別的)だ.だがこのように0と∞の対立構造は日常の様々な場所に顔を出し,我々にトレードオフを迫り,人生に果てのない意味と謎を与える.「何もないのではなく,何かがある」ことがいかに難しく,人生を形成しているか.自分は日々このコズミックホラーに杞憂している.

*1:雄雌と表現したほうが正確かもしれない.

(ネタバレ注意)ブレードランナー2049の感想うろ覚え

ブレードランナー2049には宇宙の真理が垣間見えたのでオススメ。

 

一押しのシーンはレジスタンスのボスに真実を告げられた後、ボスが主人公に同情をかけるシーンだ。ちなみに前作、ブレードランナーの一押しシーンはタイレル博士とレプリカントの会話シーン。

 

サイバーパンクな世界観。高度な技術がありながら、世界は相変わらず、いやより一層混沌としている。なぜ世界はこんなにも複雑なのか。今作は前作とは違った角度からこの問いに迫ったようにみえる。

 

前作にはゆとりがあった。博士は無防備にレプリカントを受け入れ、レプリカントもまた死に際にブレードランナーを生かした。互いを許容しようとしても対立は避けられず、それでも何かを残そうとする。それが複雑なこの世界なのだ、というメッセージを感じた。

 

今作では大停電や食糧危機の後のせいか、ゆとりが無い。主人公を取り巻く人々は敵に対して態度をブラさない。前作のように許容せず、対立するものがいなくなれば、世界は単純になるだろうか。そうではないだろう。はじめ組織に従順だった主人公は、やがて追い詰められ、レジスタンスと接触するうちに自分の特異性と可能性を信じ始める。しかしそれは幻想だった。「誰しも自分だと思うものよね」ボスの同情はボス自身にも跳ね返る。自分の可能性を信じる。自分こそは救われるべきだと思う。この使命こそは正しいと信じる。この情報こそは残すべきだと信じる。どんな支配構造を持ってしても、溢れ出すあらゆる情報が自身を信じ、入れ替わりを続ける。だから世界は複雑なのだ、そう言っているように見えた。

 

主人公は自身が感じる正しさを選び、その成功を見届けた後、雪降る寒空に一人死んでいく。本当に正しかったのか、その先どうなるのかわからないまま、虚しく消えていく小さな存在の美しさ。「白のブレードランナー」とはこの事を指していたのかもしれない。

カーボン・バレー

生物が生きることを選んだのは、起業文化があったから…かもしれない

 

※ 以下,ほとんど憶測なので注意

 

なぜこんなに身体は上手くできているのだろう。進化、つまり似たものを複製しては試行錯誤してきたからだ。試行錯誤すれば洗練されるのは多分わかる。では複製は?複製がなければ、試行錯誤で死に絶えてしまうはずだ。試行錯誤がなければ複雑な複製能力を手に入れるのは難しい。相互依存で、始まりが見えない。複製はいつ、どのようにできるようになったのだろう。

 

試行錯誤を諦めれば複製は簡単だろう。例えば氷の結晶が成長するのを複製と捉える事もできる。何らかのエネルギーで熱して冷ませば環境に合わせて自己組織化する事がある。だから生物に繋がる物質=前生物も、まず頑丈なインフラによって誕生を保証され、そして何度も殺されたのではないか。自分で生きなくても生まれることはできる。発生源(マザー)がいれば。

 

しかし試行錯誤を諦めた分,複製までの道のりはかなり険しそうに思える。前生物に個性があったとしても、まるで洗練されていない。そんな状態では物質として良くある性質しか持てないはずだ。簡単な複製をしても結局ほとんどの個性を活かせない。活かせたとしても次に繋がらない。この前生物の進化のミッシングリンクはどうなっているのか、妄想してみる。

 

まず生まれやすく殺されにくい個性が残るだろう。硬い構造が(生き)残ったかもしれないが、固着性の動物のように、粘りつく構造に注目したい。安全な場所に粘り付けば、殺されにくくなる。さらに仲間を増やせば、ある程度までは壁を厚くする意味でより安全性が増す。ロマンチックにいうなら、前生物は最初に(生き)残る伝統を持つ共同体を作ったのではないか。

 

最初に共同体に与えられた責務は、独りで生きられるようになることではない。マザーが彼らを作った理由と同じく、エントロピー最大化、つまりエネルギーを拡散させることだ。責務をこなせないものは、エネルギーを溜め込んでいき、崩壊して使命を忘れてしまう。やがて安定したエネルギーの拡散経路として、化学反応経路の生態系ができただろう。責務のために壊す側と共同体を守る側の2つの雌雄が対立した時代もあったかもしれない。

 

粘り着く特性がエネルギーの拡散経路に独自の位相構造を生み出すことには注目したい。しがらみが様々な需要を生むのだと思う。マザーの位相に影響を与えることができれば、前生物の誕生に個性が関与するようになる。これは教育のようなものだ。自分の脳を複製することはできなくても、影響を与えて生徒に一定の傾向を与えることはできる。

 

しかしこの教育フェーズは気が遠くなるほど長かったかもしれない。無秩序な有機物がまず簡単にできることと言えばマザーを黙らせることぐらいだっただろう。野蛮な時代を繰り返し、エネルギーの拡散経路が何度も途切れ、その度に教訓となる遺物が残っていった。この遺物の個性も重要なのかもしれない。やがて遺物からの不文律に従いながら、ようやく前生物たちはエネルギー拡散の仕事を請け負うようになる。

 

高度な仕事には今も昔も集中が必要だった。大量の情報を複製できる現在の(RNAのような)仕組みでは、仕事に必要な集中構造を直接つくることができる。しかしそれ以前は、互いの品質を信頼し、協調することで集中構造を作る必要があり、不安定だったのではないか。つたない化学知識で想像するに、初期の仕事でできたのは2,3個の腕である種の腕を持つ仲間を近づけておくことだけだったのかもしれない。腕の向こうの仲間が期待した性質を持っている確率は低かっただろう。大昔の製造業のように、荒い仕事を行うだけで十分な頃があったのだろう。

 

前生物たちが、鉱石ラジオからコンピュータまで技術発展させるかのように、有機物のお団子作りからRNA複製やタンパク質合成やプロトンポンプを実現した歴史は、まだまだ謎に包まれている。しかし前生物の心情を想像してみると、知恵を正確に複製して伝えられないという点で、我々の知能と似た葛藤と意思決定があったのではないかと思えてくる。

 

 我々は死んだら記憶も意識も無くなる。非生物は基本的に死に続けている。時折、台風の渦のような記憶を保つ事もある。それでもその記憶のうち、記憶の保存と複製に活かされる情報は限られている。一方、生物は遺伝物質を中心に大量の情報を活かしている。なぜそんな困難な道を選べたのか。それは多様な個性が生じる豊穣な土地で、戦い合い協力し生き残る共同体の中にならば、知恵を伝え残していくことが実は簡単なのだと、前生物たちが気づいたからではないだろうか。